時代を視る

2023年11月ニュースレター 時代を視る NO355

2023年11月16日

一般財団法人WIN WIN 代表 赤松良子

秋に想う(その二)

 

10月に、秋について書いたがひどく物足りないので(その二)を書かせて頂く。

秋をよんだ歌はいろいろあるが、味わい深いものが多い。「秋深し、隣は何をする人ぞ」「秋来ぬと、目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」「さみしさに宿を立ち出で眺むれば 何処(いずこ)も同じ秋の夕ぐれ」。かと思うと、「秋の日に、私は歌がない。小さい歌でもそれがほしい」など、すっと思い出します。

 

気がつくのは、秋の歌には、さみしさをよんだものが多いということ。何故、秋はさみしさと縁が深いのだろうと考えてみた。順不同で理由をあげてみると、「木の葉が散ってゆく」「日が短くなる」「毎朝寒くなってくる」「今年もあとわずかしかない」などしみじみとする。

 

でも、昔は季節が喜怒哀楽と直に結びついていたのが、今は、エア・コンが普及したが為、秋深くなってもそう寒くならないし、夜には夜の楽しみができたから、夜長いからと言って、嘆くこともない。木の葉が散るといっても、紅葉は春の花に匹敵するほど美しいから、さみしがらず、暖かい食事をとり、一杯やる、人恋しい良い季節でもあるのだ。

 

けれども、先号にも触れたウクライナ。死人の数は増え、紛争はおさまるメドがたっていない。それにつけて、国連が無力なのが情けない、という声が高まってきた。

たしかに、安全保障理事会の主導的な地位にある西欧諸国の態度はキッパリしないと見えるが、ユダヤ人迫害の長い歴史を持たない日本人には、分からないイスラエルに対する配慮というものがあるのであろう。

 

いや、歴史というもの、面白いが難しい!