時代を視る

2022年1月ニュースレター 時代を視る NO333

2022年1月10日

win win代表 赤松良子

2022年の年が明けた。新春には、いつも、今年はどんな年になるだろう。どんな年にしたいかと考えることにしている。若い時は、やたら勇ましく、前向きにばかり考えていた。

齢(よわい)90歳も過ぎると、もう少し後先いろいろと考えるべしと思うようになった。良いこともあれば悪いこともあるのが人生だと思うようになった。この考え方に利点があるのは、良いことがあった時、あまり舞い上がらず、悪い時にもあまり落ち込まないで済むことである。

特に何かひどい目にあったような時、がっくりして、なかなか立ち直れないようなことがあると、心身ともに悪い影響が出てくる。ただ、これは性格によるところが多いようで、かくあるべしと思ってもそうすんなり行くとは限らない。

性格というものは、どうも遺伝の要素が多いようだと感じるのは、私の父を見ていたからである。私の父は洋画家だったので、私の幼児の頃は、いつもアトリエに居て、きれいな花だの、かなり太めの女性モデルの裸の絵だのを描いていた。自分の仕事に満足していたらしく、他の職業については、あまり評価をしていないようであった。

例えば、立派な職業をと私が思って、お医者さんになりたいから、女医専を受けるといったら、「やめておけ」と反対した。その次、弁護士になりたいと言ったら、これも反対した。(その頃、映画館でやっていた女弁護士の姿が、なかなかカッコよかったので、私はあこがれたのに)両方とも楽しくない仕事だというのである。

そりゃあ、絵描きに比べれば、楽しいとは言えないかもしれないが、一方収入という点からみると、絵描きは画が売れなくなれば、さっぱりという目にあうので、その点を、母はいつもこぼしていたものである。

とに角、父はとても楽天的な性格だったのは確かで、大戦争の時の空襲で、若い頃から描きためてあった油絵がアトリエもろとも焼けてしまった時でさえ、それほど落ち込まず、戦争が終わった日には、これからどんどん良くなるぞ、と大きな声で家族に声をかけていたのを記憶している.

有難いことに、そういう性格が私に遺伝しているらしく、私もいろいろ苦労はあったのに、何とか陽気に今まで生きてきたと思っている。

昨年のことを振り返ってみても、転倒、骨折、入院、リハビリとつらい思いをしたが、その中で、熱心に介護の仕事に励む人々の姿を見ることができ、世の中には、報われること大きくないことを一生懸命にやっている人達がちゃんといるのを毎日眺めて嬉しく感じた。

人生悪いことばかりということはない筈というのは、本当なのである。とに角、どう考えても「晩年」というものに向かっているのだ。ぜひぜひ、良い年月であって欲しい。どうしても免れぬ最期につながっているのだから・・・。