時代を視る
2019年12月ニュースレター 時代を視る N0238号
2019年12月10日
win win代表 赤松涼子
2019年も師走(しはす)。残り3週間となった。年号が平成から令和へ変わった年でもあった。天皇退位による変更というのは、明治以降には絶えてなく、(平安時代には多く、前の天皇が上皇になってから権力を握って政治を動かしたが)一寸びっくりした。明仁(あきひと)天皇(今や上皇)は、私がまだ小学校にも入る前、待望久しかった第一皇子として生まれられたので、旗行列なんかして祝ったことをよく記憶している。生まれながらの皇太子だったが、父天皇が長寿だったので、即位されたのは50歳代も半ばであったと記憶する。以降30年、象徴天皇としてのあり方を真摯に考え、実行し、80歳を迎えた頃から、その重荷から解かれたいと思われたのであろう。
私は90歳になったが、まだ杖も持たず、officeへ行けるので、働ける間は働き続けたいと思っている。(生活は公私の年金で足りるはずなので。人に迷惑をかけるようになったら、引退しなければならないと思うが)。しかし、同年齢、中には大分若い方についても訃報が入るようになって、悲しい思いをすることもしばしばある。
91歳だった田辺聖子氏、92歳の緒方貞子氏についてはこの欄で弔意を述べたが、物理学者の米沢冨美子氏が80歳で逝かれたのは、すでに大きな業績を残されているとはいえ、「南北sisters」の妹だったのだから、本当に淋しい。
あと一人、私より若く優秀な人が今年さっさと逝ってしまった。映画監督の藤原智子氏である。日本国憲法の男女平等の項目を書いた、私たちの恩人とも言うべき、ベアテ・シロタ・ゴードンについて「ベアテの贈りもの」というすばらしいドキュメンタリー映画を撮った人である。この映画は、憲法と、男女平等を大切に思う人々から、とても大切にされ、制作後15年以上になるのに、いまだに、大小の集会に上映され、中高年者は勿論、若者、大学生の会合でも観られている。
私自身、これができた直後から、これを担いで全国に建てられつつあった女性のための会館などで、映画を観た後の講演・解説などをして歩いたものである。藤原さんという人、昭和30年(1955年)に東大の文学部美術史学科を卒業した俊秀だが、この映画を撮る前、憲法の勉強をしたいからと言って、私の本棚から、ありたっけの憲法関係の本を持って行って、片っ端から読んだのだった。頭脳明晰で、センスもよく、良い仕事をしたのだが、このあとベアテの父君のレオ・シロタを発見して、この男性にすっかりほれ込んでしまった。そして、彼の生まれたウクライナまではるばる出かけて行って、その幼児期から、一生を掘り起こそうとした。その熱意たるや敬服に値するものではあるが、もう歳も若くなかったのに、無理な旅行日程だったらしく、健康を害したようで、間もなく、あの世へと旅立ってしまったのである。享年87歳。彼女は生前「映画というものは、生命(いのち)があんまり長くない。映画館で観られるのは2年ぐらいのものよ」と言っていたのだが、「ベアテの贈りもの」は、それどころではないのは、先述の通りである。
60年以上にわたる友誼を思い、心からご冥福を祈っている。