時代を視る

2018年1月 ニュースレター 時代を視る Vol.215

2018年1月10日

WIN WIN代表 赤松良子

2018年を迎えた元旦は、東日本は美しく晴れた。私も健やかに熱海の初日の出を見ることができた。15歳まで戦争に明け暮れた人生、その後は73年間戦争がなく、日本が平和を享受してきたことは、何と言っても幸せなことである。戦争を知らない人口がマジョリティになってしまい、心配の種はいろいろあるが、何とか平和のありがたさを若い人に伝えていきたいと願っている。

今年は、女性の権利の歴史の上で、節目といえる。イギリスで女性が参政権を初めて行使してから100周年にあたるからである。世界では、これは最初ではなく、ニュージーランドやオーストラリアでは19世紀末に遡ると聞いている。しかし、当時これらはまだ独立国ではなく(イギリスの植民地)、地理的にいっても、当時世界の中心と考えられていたヨーロッパから遠く離れた南太平洋に於いてであった。一方イギリスは、当時大英帝国として、第一次世界大戦を戦っており、女性達は命がけの参政権運動を一時休止して戦争協力に転じていたなかでの政府の決断であった。大戦の勝利国となったイギリスの影響力は大きく、女性が参政権を行使した1918年2月6日は世界史的に大きな日となったのである。

この運動について、ドキュメンタリー風の劇映画が製作され「未来を花束にして」という題で日本でも2017年に上映され、Qの会の運営委員会でも日比谷まで観に出かけたものだった。我が国でも大正時代に、平塚らいてふ、市川房枝らによって参政権獲得運動がくりひろげられた時期があったが、イギリスのような過激な動きとはならず、それでも衆議院の門は通ったが、超コンサバな貴族院(現在の参議院とは全く違う構成)に阻まれて日の目を見なかった。しかし、これがあったればこそ、戦争時代なりを潜めていたが1945年のマッカーサー勧告をうけて、すぐ女性参政権への道を拓くことができたのだと思われる。直後(1946年4月10日)の総選挙で40人にせまる婦人代議士が誕生してびっくりしたことを覚えている人は数少なくなってしまったが、あの時は本当に「女性が輝く」世の中になったと思うことができた。ひるがえって、この言葉が盛んに使われている現代は、実際にどうなっているのであろう?

御本家イギリスでは、さすがに女性が首相、ドイツのメルケル首相と並んで、ヨーロッパ政治をリードしている。アメリカでは初の女性大統領への夢が惜しくも破れたあと、意気あがらないように見えるが、そのうちにまた復起することだろう。残念なのは日本で、「女性の輝く時代」という言葉はよく聞こえてくるが、何とも言葉だけのリップサービスのように思えるのは私のひがみだろうか。典型的なのが首相で、自民党の衆議院議員の割合は22人で、同党総数284人のわずか7.7%。せめて自身が任命できる閣僚でも、フランスのように半数とまでいかなくても自ら目標として示した30%くらいにはできないものか、先輩でさえ、5人としたことがあるのに、現在はわずか2人、これでは民間企業に女性管理者を増やせ、と言っても、まるで迫力がないのではないだろうか?