時代を視る
2014年7月 ニュースレター 時代を視る Vol.174
2014年7月10日
都議会のセクハラヤジとかいう品のない事件で女性達が憤慨している。新人の女性議員の質問中に「子供が生めないのか」「早く結婚しろよ」などと自民党の男性議員がヤジを放って、発言者を立ち往生させたというのである。と書いたら、同様のことが国会でも起こった。私は国会で答弁に立つ経験を何度かしたが(局長、大臣の時代)、その時もヤジのうるささにはあきれたり、腹が立ったりしたものだったが、都議会の方もそれを越えるすさまじさなのであろうか?
経験豊かな議員さんの中には、ヤジがあるほうが活気があっていいとか、ヤジは議上のハナだとかいう人もいて、何とかヤジをなくせないものかという私の嘆きは、取り合ってもらえなかったという記憶がある。しかし、時代が変わって次第にヤジも減り、あまり品の悪いものはなくなっていたのか、今度の事件は多くの女性にショックを与えたようである。女性の品位や人格を傷つけるような発言は慎むべきだということは改めていうまでもないことで、逆もまた真であるが、男性優位の社会ではあまり起こらないようである。女性が、男性にそんなことを言ったら、たちまち袋叩きにあってしまうことだろう。(ひょっとしたらあるのか?)いずれにしても、この問題が都議会の外まで拡がり、多くの女性が連帯して声をあげるという姿は沈滞した社会へのカンフル剤かもしれない。
このような連帯が、もっと広く強くなって政治の流れが変えられないものかと心底願うことが起こっている。云わずと知れた集団的自衛権問題である。70年近くつみ重ねてきた憲法9条の解釈を変えて、「戦争のできない国」から「戦争をできる国」にしようという大転換を、閣議決定でやってのけた。その先に「戦争をする国」が手の届く所にあるのだ。新しい歯止めとして三条件を作って、しぶる公明党を説得したというが、国民は納得のいく説明は聞いていない。戦争をしている友軍の後方支援というのは極めて危なっかしい。現にドンパチの起こっている所ではしないというが、その場所はいつ広がるか、あっと言う間に敵中になっていたという事態は少し想像力を働かせば分かることではないのか。日本が雪ダルマが坂道を転がり落ちるように「戦争ばかりしてる国」になっていた昭和初期に育った私の年代は本当に心配をしている。しかし幸か不幸か、もう先は長くない。「私の目の黒いうちには」という言葉は前には重みがあったが、今や「もう間もなく」と同意語になってしまった。私の元気な間に「集団的自衛権」を発動して自衛隊を国防軍にして、戦争に出かけて行くという事までは起こらないかも知れない。けれど、それができない国として次世代にバトンタッチをすることができなくなったというのは、情けない限りである。だがしかし、閣議決定は、内閣が替われば変えられる。議会のヤジに怒って、運動を起こせるなら、暴走する内閣の決定にストップをかけられる
筈ではないのか・・・!