時代を視る

2014年5月 ニュースレター 時代を視る Vol.171

2014年5月13日

WIN WIN代表 赤松良子

久しぶりで後輩の女性が特命全権大使に就任する。5月下旬に晴れてブルネイに向かわれる。日本で女性が初めて大使になったのは、1980年の事だから30余年前である。私はその前年に国連代表部の公使になって、ニューヨークに居たから、この歴史的事件に立ち会うことはできなかった。何でも大変なさわぎで、マスコミの過熱取材のせいで、高橋新大使の家の飼い猫が円形脱毛症になったというので、喜んでばかりはいられないという心境だった。それにひきかえ、今回の伊岐典子大使の任命は静かなもので、淡々と準備ができるようで、私まで安心である。

 

もう女性の大使が珍しい時代ではないということなのだろう。私が駐ウルグアイ大使になった時も、2人目だから最初の時ほど大騒ぎにはならなかったと記憶している。
私のすぐ後は外務省生え抜きのプロだったが、その後また、外部からの起用ということが続いた。というのも、外務省が外交官試験で女性を採用しておかなかったからなのだと思われた。そうではなくてちゃんと合格した人がいなかったのだという反論も聞いたが、甚だ疑わしいと感じていた。以前から語学においては女性の方が出来が良いと言われており、他の経歴にも遜色のない女性は居たはずなのに長年にわたり採用されていないというのは、人事担当者に女性を排除する傾向があったからだと私は今でも思っている。

 

外交官ばかりの問題ではない。今、わが国は202030という目標を掲げて、女性の進出を推進しようとしているが、実現にはほど遠く、国際的にみて女性の地位は最低グループの仲間に低迷している。あらゆる指導的な地位に30%以上女性をというのだが、3割はおろか、1割にもならないのが現状である。ポストだけ用意しても実力が伴わなければ、すぐに馬脚が現れてしまう。実力というのは長い間かかって、まじめに取り組まなければ育つものではない。30%のリーダーを確保したいと思ったら、初め半分採用する位の覚悟がいるのではないか。私が大学を出て労働省に入省した時、同期採用20余人の中2人が女性だった。たった1割足らずと言う勿れ、当時中央官庁で女性のキャリアを採用するところはたった一省のみ、それも一回に1人しかとってこなかった時代なのである。労働省がすぐれて開明的だったかというと、そうとも言えないのが残念で、婦人少年局という女性管理職ポストが3つある(局長と課長職2)局があったにすぎない。それでも有資格者を毎年1〜2名採用し続けていたら、大きな蓄積になる。1975年(つまり初の女性採用から30年後)に、海の向こうの国連から大きな風が吹き(国際婦人年)女性の登用への追い風になった時、それに応えられる力を備えていたのは他ならぬ労働省であった。先ず高橋展子デンマーク大使、赤松ウルグアイ大使、佐藤ギン子ケニア大使と続いたのである。そして、しばらく間を置いて松原宣子イタリア大使となり、今回の伊岐大使となったわけだから、先輩は喜び後輩は大いに励まされていることだろう。ご健闘を切に祈る所以である。