時代を視る
2019年1月ニュースレター 時代を視る No.227
2019年1月10日
WIN WIN代表 赤松良子
2018年という年、「年の言葉」が「災」とは嬉しくないが、私にとってはとてもよいこともあった。「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が成立したのである。(5月16日)私自身風邪引きで熱まであり、国会通過の現場へ傍聴に行くこともできず、家でくすぶっていたのは、不甲斐ない姿ではあったが・・・。「人生よいことばかりではない、悪いことばかりでもない」といつも自分に言っているのが、その通りであった。 しかし、この法律ができて、「二つの均等法の母―赤松良子」と書いて頂いたこともあり、帳尻はプラスと言える。第一の「職場における男女機会均等法」の方は、閣法(政府提案)だったから、労働省が中心になって法案作成し、婦人局長だった赤松が小さい体で大きな旗を振っていたので、「均等法の母」といわれても「はい、ありがとう」と感じることができたが、「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」の方は、議員立法であり、強力な推進議員連盟が、立案から制定までをがんばって下さったから成立したので、私はとても生みの母などと言って頂くべきものではない。ただ、「クオータ制を推進する会」のメンバーが法制定のため熱心に議員の方々に、要請をくり返したことは確かで、この会の代表は赤松であるから、関係はあるということはできる。先行の均等法から30年近くたっているので、大きな顔はできないと思うのではあるが、成立したことはまことに喜ばしい出来事であった。
もう一つの懸案の「女子差別撤廃条約 個人通報制度」の批准は達成しなかった。100を超す国が既に批准を済ませたというのに、日本政府はてんで「蛙の面に何とか」のようである。大体、「選択議定書」Optional Protocolなどという名もよくない。それでは何のことか分からないから、「個人通報制度」という方を前に出すようにしたら、少しは分かるようになったが、それでも、条約との関係がイマイチはっきりしない。
条約批准のときは、「男女雇用機会均等法(案)」という関心の高い法案と一体化して大勢の女性が運動を繰り広げ、1980年の署名から85年の批准実現まで、日本女性史の上でも希有な盛りあがりがあった結果、国会を通したのだが、「個人通報制度」の方は、そういう後押し(だかひっぱり)の力がついていないので、なかなか進まないのかも知れない。条約批准の時に、一遍にやってしまえばできたのに、なんて愚痴るのは、「〇〇のあと智慧」なのであろう。
これ、私の目の黒いうちに実現するのだろうか? 今年8月で90歳の大台に乗るので、いつ目が黒くなくなるか、もう母の享年をすぎたので、そう待っていられないとも思い、しかし、7歳上の姉が生きているうちは、先に逝くわけにはいかないとも思うし、これは全く天命だから、自分では何とも言えません。条約批准の時のような馬力がないことだけは確かであります。残念ながら!